ハビティえんす日記

人生100年時代、習慣を科学し人生の主導権を取り戻す。

人生の意味について考える習慣 その2

12月10日 今日も暖かい日曜日でした。明日は54回目の誕生日。

今年は劇的な変化の1年でした。

 

さて、何のために人は生きるのか?

 

という壮大なテーマについて今日も考えます。

 

若いうちや、結婚して、子供を育てるうちは、日々を過ごしていくことが人生の全てだった。

 

でも子供が独立し、人生100年を考えた時、毎日を過ごす意味を考えずにはいられません。

 

自分が生きるためには何が必要か? 

Chat GPTで聞いてみたら

 

宗教的アプローチ、哲学的アプローチ、人間中心的アプローチ、自然宇宙的アプローチ、ヒューマニズム的アプローチ、快楽主義的アプローチ、ニヒリズム的アプローチなどがあるそうです。大きく分けて、意味が決まっているのでそこに向かっていくという考え方、自分がその意味を見つけていくという考え方、自分の欲に従って生きる生き方ということになるのでしょう。

 

それでも、教科書的な答えはないので、結局はどう考えると、ワクワクして毎日過ごせるのか?という観点で考えると、自分がその意味を自分で設定するとした方が、毎日安定したモチベーションを維持できるような気がします。

 

じゃあどのような意味を与えるか?

 

私は、シンプルに「幸せになるために」というテーマにするとしっくりきました。

 

自分の短絡的な欲求を満たすだけだと、なにかその時はうれしいのですが、そのあともっと強い刺激が必要になるのです。

 

でも今よりも少し幸せになる事を目的とすると、昨日より、今日、何か変わった事に敏感になり、その変化自体に快を感じるようになります。

 

毎日幸せを感じるということは理想的で、なかなか難しいと思いますが、昨日との少しの変化を新しい事として「快」と感じることが、SDGSではないですが持続可能なちょとした喜びなのかもしれません。

 


www.youtube.com