私たちは何のために毎日生活をしていくのだろう。
何を目指して長い人生を生きていくのだろう。
誰もがこの疑問に打ち当たったことがあるのではないでしょうか。
良い学校に入るため?良い就職先を見つけるため?
良い伴侶を見つけるため?
家を買うため?子供が生まれたら、またその子供を良い学校に入れるため?
当面の目標が目の前にある時は考えなくて良いかもしれない。ある意味、それは大変だけども楽なことかもしれない。なぜならその間はその人生の命題に向き合わなくていいから。
でも目の前の目標がなくなった途端に、我々は急激な不安に襲われる。
それは、大海原に目的地を持たずに漂っているようなものです。
自分の欲望を満たすというのも1つのモチベーションにはなる。
ただ、その欲望には際限がない。1つの欲望満たすとさらに刺激の強いもっと大きな欲望が湧いてくる。
その際限なく広がる欲望を叶える続ける事は困難である。どこかで限界を迎える。
なぜなら、この世界で生きていくためには、他人の協力が必要不可欠であるが、人は自分の欲望のためだけに動いてる人を見極め、やがて協力をしてくれなくなるからである。
人生の目的は誰も見つけてくれないし、与えてもくれない。
自分でその意味を作っていくしかないのだ。
ならばこういうのはどうでしょう。
「自分も楽しくて、周りの人が喜ぶ事」
こう考えるとずっと続けられるような気がしませんか?
何歳からでも人生の目的地にできること。
そうすると、その目的地に向かって歩くことが、毎日何かしらできることがあると気づけるような気がします。