ハビティえんす日記

人生100年時代、習慣を科学し人生の主導権を取り戻す。

コロナ明けの変化の習慣 その2

お盆休み3日目、今日は帰省途中で一泊。のんびりと高校野球を見ながらゆっくりしています。

 

さてコロナ前とコロナ後ある意味、世界は全く変わってしまったような気がします。やっぱり3年という時間はあまりにも長い。

 

50,年以上生きてきた自分でさえ、いろいろな感覚が忘れられてしまっている。なんとなくの記憶として残っているものはありますが、あらゆる面において全てがリセットされてしまったという感覚があります。

 

①コミュニケーションについて

自分については、これは丁度、自分に起きた習慣の変化に伴う劇的な変化を体験した時期と重なるため、コロナ前後の単純な変化だけではありませんが、コロナにより全くリセットされた事で、コミュニケーションを人生について、重要な要素であるように考えるようになりました。以前は自分の体調や感覚によって、かなり浮き沈みがあったように思いますが、人は一人では生きていけないし、このコミュニケーションによっていろんな部分で助け合いながら生きているのが人の特性なのだと改めて思うようになりました。

世間においては、最近のTV番組でも、以前とだいぶ人気番組がかわってきたと思います。最近は、各地のロケで地元の人とコミュニケーションをとったり、地元のおいしいお店を食べ歩きするような番組が、ゴールデンタイムに増えたような気がしますし、純粋に、そのやりとりがホッしておもしろい。

 

②人は同じ生活が続いた時、どういう発想をするのか?という点については、みなさんもそうだったと思いますが、できる範囲で、なんとかして変化をつけようとして、生活を楽しもうと努力するということです。私も、Amazonでいっぱいいろいろなものをポチっとして購入しました。やってみて、実際はイマイチということも一杯ありましたが

それも今となってはいい経験です。人はただ変化なく淡々と過ごすことはできないのだなと改めて思いました。新しい事を常に求めて、生きていくというのは人間の本能であり、これがここまで人類を発展させてきた理由なのかもしれません。

 

③お金の使い方について、コロナ後の消費が好調です。それはリベンジ消費という側面もあるかもしれません。また賃金の上昇など、外的な要因もあるかもしれません。でも自分に関してはこのコロナ前後で大きく考え方が変わりました。失われた30年という言葉が日本にはありますが、やっぱり前例踏襲の考え方になり、思考停止になっていたように思えてなりません。外的要因よる物価高などにより、なぜ収入が増えないのに支出が増えているのか?という単純な疑問を抱くようになり、収入と支出について考えるようになりました。  お金は使ったら減っていく→だから使わないという発想だけではどうしても縮小均衡になってしまい、窮屈な発想しか生まれにくということです。

 

無駄な事には1円も使わない→でも自分への投資には使う(それは必ず自分に帰ってくるものだから)という発想に変えたところ、メリハリがつきましたしいろいろな物が動き出したような気がします。

 

このように、この3年間はある意味、1から自分をリセットするという意味ではいい機会だったのかもしれませんね。

 


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